箕輪町の三寿院

福澤氏子が守り、守られて
福沢製作所の歴史のひとつに刻みたいこと
紅葉の季節になると、一万本のもみじを見ようと沢山のお客様が訪れる事でも知られていますが、中央自動車道伊北インター出口を右折、カーナビを頼りに小河内地区から長岡へ箕輪ダム入口看板表示に至る坂を「三寿院の坂」と呼びます。
この坂の右の土手上に三寿院があります。
福澤氏の代々から当番で4月3日には幟を立て祭り、また旧暦の7月26日には六夜様と呼ばれ、月暦26日目の細い月の夜には沢山の人が訪れ、提灯をぶる下げて長い参道を通りお参り、話しに酒盛りにと賑わった時代を経て、元は三寿院の森と呼ばれた木を伐採し草刈りなど手をかけて、21世紀に入り朽ちた祠は宮大工により再建され東山麓散策コースになるなど力を合わせて来ました。担ってきた氏子も高齢となり、現在は管理しやすいように広く昉草シートが敷かれています。
この三寿院、うつり行く時を節目と捉え、これまで整えてきた形を変えながらも、ご先祖様に感謝しつつ改める責務を果たしたいと強く感じております。
この三寿院は誰が言い伝え始めたか今となっては定かではありませんが、伝説や民話として本や紙芝居等上伊那地域、箕輪町に数々残されています。それは桃太郎や花咲か爺さんのような昔ばなしと同じ説であることには違いないことです。
最後に
箕輪町東山麓、南は「十沢の坂」とざわのさか、北は「三寿院の坂」さんじゅいんのさか。上ると豊かな大地があります。
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