Vol.12『変遷をたどる』過去から未来へ~ ワイヤーカット編

嘱託3年生教育係
私が福沢製作所で働く事になったのは20年前の事。入社当時は汎用のフライス盤の担当で不馴れな立ち仕事から会社に希望を出し社内異動で一から学んだ部署がワイヤーカット部門であった。
私のスキルにあった建築設計の知識が微力でも、ワイヤーカットに役立てるきっかけになるとは、当時はそれほど思いも寄らなかった。

1、 ↑ brother HS-50A まったくの、ど素人である私は、先任のKさんより兎に角、数々の使い方を教わることとなった。

2、 ↑ brother HS-70A 業務拡大のため2台導入
教える側、学ぶ側、共に二人で24時間 稼働したことも…そうした努力もあり

3、 ↑ FANUCーROBOCUTー@ーC400iB その後 追加導入され
機械メーカーが変わったことで動作も大きく違い慣れた機械とは異なり最初は使い辛く苦悩もあった。
機械に不具合が起きると、既に生産されていないため大抵は私が部品交換修理した。騙しだましではあったが一番可愛がってきたという自負があった。しかし、ついに働き終える日が来た。
『苦楽を共にありがとう』と語りかけた。

4、↑ FANUCーROBOCUTー@ーC400iC
更に導入、今では 主力機 !!
現在の私の役割は後任者への引き継ぎと教育であり、嘱託社員となり、たとえ体力は老いても私の責任は続いて行く
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